皆川城址は、標高147mの城山を中心とする山城です。山頂に主郭があり、標高差を利用した階段状の連続した曲輪が分布しています。地元では、その外観から、法螺貝城とも呼ばれています。
南、南西には山腹から麓まで長大な竪堀を配し、北側に三重の竪堀があります。北側を除き、山麓端に横堀を巡らせ、南は麓を含めた平地部を方形に囲っています。主郭には曲輪南・西側、北西部の土塁と、数基の柱穴跡が発掘調査で確認され、その規模や配置から、簡易な建物があったと推定されています。
築城年代は不明ですが、慶長十四年(1609年)徳川幕府による改易で廃城したと考えられています。
周囲には、字鳥居戸、字町家、字宿等の地名があり、東側には東宮神社や鎌倉期の居館と伝えられる白山台が位置し、東西には皆川街道が通る。これらを含む一帯が城と城下町を形成したと推測されています。