皆川歴史研究会代表 新年のごあいさつ

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、皆川歴史研究会の設立という大きな節目の年となりました。多くの方々のお力添えにより、設立総会・記念講演会を無事に開催できましたことは、事務局を預かる私たちにとって何よりの励みであり、深く感謝申し上げます。会員の皆さま、ならびに日頃より当会の活動に格別のご理解とご支援を賜っております皆さまに、心より新年のごあいさつを申し上げます。

 さて、本年は、いまさら申すまでもなく「午年」であります。皆川氏の歴史をひもとくとき、重要な場面で出てくるのが「馬」との深い関わりです。

 皆川氏の祖とされる藤原秀郷は、平将門の乱を鎮めた武勇のみならず、弓馬に秀でた武人として知られています。古来より蝦夷との接点をもち、「騎射の技」が磨かれてきた下野国の風土が、秀郷流藤原氏という弓馬の名門を育みました。その系譜は、秀郷の子孫たちにも受け継がれていきます。
 秀郷流藤原氏の一族である小山氏や長沼氏は、代々「下野国御厩別当職」を世襲し、馬の調達・育成・管理を司る家柄となりました。皆川氏もまた、そうした伝統を色濃く受け継ぐ名門一族でありました。

 天正9年(1581年)、広照公は織田信長に三匹の馬を献上し、その馬を信長が「馬形・乗り以下比類なし」と激賞したことはよく知られています。さらに、徳川家康もまた、広照公から贈られた馬を「乗り心地、馬形等勝れ候」と称え、両者の間で親密な書状のやり取りが重ねられました。
 天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原城攻めの際、広照公が助命された理由の一つとして、先年の御馬献上が挙げられていることも、馬が単なる贈答品ではなく、武将の命運を左右するほどの重みをもっていたことを物語っています。

 信州飯山に広照公と弟・廣泰が奉納した「黒神馬」「白神馬」の大絵馬が残っています。 古来より日本では、馬は神様の乗り物とされ神聖視されてきました。馬に乗って合戦に臨んだ武将にとっては、まさに「人馬一体」生死を共にする生き物でもありました。馬とともに戦国の世を走り抜けた広照にとって、大絵馬の奉納は特別な感慨があったことだろうと推測されます。

 こうした「馬」をめぐる数々のエピソードは、皆川氏の歴史が北関東の一地方史の中で完結するものではなく、中央権力と深く結びつきながら、日本史の大きなうねりのなかで展開してきたことを象徴的に示すものと考えます。
 皆川の歴史は、決して過去のものではありません。私たち一人ひとりの未来につながる大切な宝です。会員の皆さまと力を合わせ、学び合い、語り合いながら、開かれた、親しみのある研究会活動を進めてまいりたいと思います。

 本年も、皆さまの変わらぬご参加とご協力を賜りますようお願い申し上げますとともに、皆さまにとって実り多き一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

 2026年(令和8年) 元旦

皆川歴史研究会
代表 大橋 利一郎

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