時空を超えて――皆川氏と歌麿を結ぶ一人の歌人

 戦国時代に名を馳せた皆川氏と、江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿。時代も活躍分野もまったく異なる両者を、時空を越えて結びつける歌麿作品があります。

  歌麿の代表的な浮世絵版画のひとつ「近代七才女詩歌(きんだい しちさいじょ しいか)」という美人画です。その7人の才女のひとりとして、「下野室八嶋倉子女(しもつけの むろのやしま くらこじょ)」が絵に登場します。この倉子とは、石塚倉子といって、現在の栃木市藤岡町富吉に今も屋敷を構えた旧家・石塚家の出身で、江戸中期に「室八島」と題した歌集を出版するなど、江戸では有名な歌人でした。

 倉子の生家・石塚家には、たいへん興味深い家伝が残されています。『藤岡町史 通史編』(135ページ)によれば、石塚家は戦国時代、常陸国小田城主であった小田氏一族の末裔であり、小田氏没落ののち、下野国皆川氏の客分として栃木の地に移り住んだと伝えられています。主君である皆川氏に和歌を教えた功により皆川氏の領地であった富吉の地を拝領し、以後この地に居住するようになった――それが石塚家の由来とされているのです。

 小田氏一族は、『鎌倉殿の13人』のひとりで下野国の名門宇都宮氏の系譜を引く八田知家を祖とし、宇都宮氏と並び代々和歌を尊ぶ家柄でもありました。石塚家の伝承が正しければ、石塚家は、小田氏の流れをくむ文化的素養を受け継ぎつつ、皆川氏の庇護のもとに和歌の道を守り伝えた家ということになります。皆川氏が改易される慶長14年(1609)までの間、両家の関係は続いたと考えられています。

 このようにして、歌人の伝統を引き継ぐ小田氏一族の分枝が皆川氏の客分となって、主君(おそらく広照公)に仕え、和歌を教えたなんていう伝承はそれだけでもロマンがあり魅力的です。そのうえ、さらに、歌麿が、その子孫である歌人・石塚倉子を思い浮べ、浮世絵を描いたとなると、ますます興味が尽きません。

その絵は、栃木市大通りの「歌麿交流館」にも展示されています。この美人画には倉子の和歌が添えられています。

「吹き送る 風のたよりも 誰が里の 庵に匂ふ 梅の初花」

現代語訳:吹く風に送られてきた(春の)風のたよりは 誰の里からのものだろうか(私の)庵に(春心を誘う)梅の初花の香りがただよっていることよ 皆川氏ゆかりの史跡を訪ねる折には、ぜひ倉子の絵の前に立ち、時代を超えて紡がれる歴史ロマンに、そっと思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

                   20251028 小林記(20251216 一部訂正)

上部へスクロール